- 少し長めで読み応えのある作品を少しずつ読みたい。
- 異国情緒溢れる作品を読みたい。
- 小学三年生くらいの子どもがひとりで読める作品を探している。
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前回までのあらすじ
貧乏になった杜子春の前に、三度現れた老人。しかし、「好いことを教えてやろう」という老人の言葉を杜子春は遮る。杜子春は、お金がある時にだけ親切にしてくる人間に愛想を尽かしてしまったのだった。
そして、この老人を仙人だと思った杜子春は、不思議な仙術を教えて欲しいとお願いする。
老人は「いかにも、自分は鉄冠子という仙人だ」と言って、杜子春のお願いを聞き入れる。それから杜子春を峨眉山まで連れて行く。
杜子春を岩の上に座らせると「誰が来ても声を出してはいけない」と約束をして、老人はたちまちどこかへ消えてしまった。
しばらくすると、「そこにいるのは何者だ。」と、叱りつける声が聞こえてくる。
おはなしの始まりはここから
★この文章は5分で読めます
杜子春は勿論黙っていました。
と、どこから登って来たか、爛々と眼を光らせた虎が一匹、忽然と岩の上に躍り上がって、杜子春の姿を睨みながら、一声高く哮りました。
のみならずそれと同時に、頭の上の松の枝が、烈しくざわざわ揺れたと思うと、後ろの絶壁の頂きからは、四斗樽程の白蛇が一匹、炎のような舌を吐いて、見る見る近くへ下りて来るのです。
杜子春はしかし平然と、眉毛も動かさずに坐っていました。
虎と蛇とは、一つ餌食を狙って、互いに隙でも窺うのか、暫くは睨み合いの体でしたが、やがてどちらが先ともなく、一時に杜子春に飛びかかりました。
が虎の牙に噛まれるか、蛇の舌に呑まれるか、杜子春の命は瞬く内に、なくなってしまうと思った時、虎と蛇とは霧の如く、夜風と共に消え失せて、後には唯、絶壁の松が、さっきの通りこうこうと枝を鳴らしているばかりなのです。
杜子春はほっと一息しながら、今度はどんなことが起こるかと、心待ちに待っていました。
すると一陣の風が吹き起こって、墨のような黒雲が一面にあたりをとざすや否や、うす紫の稲妻がやにわに闇を二つに裂いて、凄まじく雷が鳴り出しました。
いや、雷ばかりではありません。
それと一緒に瀑のような雨も、いきなりどうどうと降り出したのです。
杜子春はこの天変の中に、恐れ気もなく坐っていました。
風の音、雨のしぶき、それから絶え間ない稲妻の光、――暫くはさすがの峨眉山も、覆るかと思う位でしたが、その内に耳をもつんざく程、大きな雷鳴が轟いたと思うと、空に渦巻いた黒雲の中から、まっ赤な一本の火柱が、杜子春の頭へ落ちかかりました。
杜子春は思わず耳を抑えて、一枚岩の上へひれ伏しました。
が、すぐに眼を開いて見ると、空は以前の通り晴れ渡って、向こうに聳えた山々の上にも、茶碗ほどの北斗の星が、やはりきらきら輝いています。
して見れば今の大あらしも、あの虎や白蛇と同じように、鉄冠子の留守をつけこんだ、魔性の悪戯に違いありません。
杜子春は漸く安心して、額の冷や汗を拭いながら、又岩の上に坐り直しました。
が、そのため息がまだ消えない内に、今度は彼の坐っている前へ、金の鎧を着下した、身の丈三丈もあろうという、厳かな神将が現れました。
神将は手に三つ叉の戟を持っていましたが、いきなりその戟の切っ先を杜子春の胸もとへ向けながら、眼を嗔らせて叱りつけるのを聞けば、
「こら、その方は一体何者だ。この峨眉山という山は、天地開闢の昔から、おれが住まいをしている所だぞ。それも憚らずたった一人、ここへ足を踏み入れるとは、よもや唯の人間ではあるまい。さあ命が惜しかったら、一刻も早く返答しろ。」と言うのです。
しかし杜子春は老人の言葉通り、黙然と口を噤んでいました。
「返事をしないか。――しないな。好し。しなければ、しないで勝手にしろ。その代わりおれの眷属たちが、その方をずたずたに斬ってしまうぞ。」
神将は戟を高く挙げて、向こうの山の空を招きました。
その途端に闇がさっと裂けると、驚いたことには無数の神兵が、雲の如く空に充ち満ちて、それが皆槍や刀をきらめかせながら、今にもここへ一なだれに攻め寄せようとしているのです。
この景色を見た杜子春は、思わずあっと叫びそうにしましたが、すぐに又鉄冠子の言葉を思い出して、一生懸命に黙っていました。
神将は彼が恐れないのを見ると、怒ったの怒らないのではありません。
「この剛情者め。どうしても返事をしなければ、約束通り命はとってやるぞ。」
神将はこう喚くが早いか、三つ叉の戟を閃かせて、一突きに杜子春を突き殺しました。
そうして峨眉山もどよむ程、からからと高く笑いながら、どこともなく消えてしまいました。
勿論この時はもう無数の神兵も、吹き渡る夜風の音と一緒に、夢のように消え失せた後だったのです。
北斗の星は又寒そうに、一枚岩の上を照らし始めました。
絶壁の松も前に変わらず、こうこうと枝を鳴らせています。
が、杜子春はとうに息が絶えて、仰向けにそこへ倒れていました。
杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れていましたが、杜子春の魂は、静かに体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。
この世と地獄との間には、闇穴道という道があって、そこは年中暗い空に、氷のような冷たい風がぴゅうぴゅう吹き荒んでいるのです。
杜子春はその風に吹かれながら、暫くは唯木の葉のように、空を漂って行きましたが、やがて森羅殿という額の懸った立派な御殿の前へ出ました。
御殿の前にいた大勢の鬼は、杜子春の姿を見るや否や、すぐにそのまわりを取り捲いて、階の前へ引き据えました。
階の上には一人の王様が、まっ黒な袍に金の冠をかぶって、いかめしくあたりを睨んでいます。
これは兼ねて噂に聞いた、閻魔大王に違いありません。
杜子春はどうなることかと思いながら、恐る恐るそこへ跪いていました。
「こら、その方は何の為に、峨眉山の上へ坐っていた?」
閻魔大王の声は雷のように、階の上から響きました。
杜子春は早速その問に答えようとしましたが、ふと又思い出したのは、「決して口を利くな」という鉄冠子の戒めの言葉です。
そこで唯頭を垂れたまま、唖のように黙っていました。
すると閻魔大王は、持っていた鉄の笏を挙げて、顔中の鬚を逆立てながら、「その方はここをどこだと思う?速やかに返答をすれば好し、さもなければ時を移さず、地獄の呵責に遇わせてくれるぞ。」と、威丈高に罵りました。
が、杜子春は相変わらず唇一つ動かしません。
それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、荒々しく何か言いつけると、鬼どもは一度に畏まって、忽ち杜子春を引き立てながら、森羅殿の空へ舞い上がりました。
※唖について・・・言葉が話せない人を指す言葉。この身体的な特徴を表す言葉は、時として人を侮辱し、傷つける差別的な表現として、現代では不適切に感じられる箇所です。
読了ワーク
思い出してみよう
- 虎と蛇が杜子春の前から消えた後、誰が現れましたか。
- 杜子春の魂が体から抜けると、地獄へと下りていきました。地獄に来ると、大勢の鬼が杜子春を連れて行きました。誰のところへ連れて行ったのでしょうか。
調べてみよう
- “四斗樽”とは、どのくらいの量が入る樽のことでしょうか。
- 『窺う』と『伺う』と『覗う』の違いは何でしょうか。
単語ピックアップ
1.忽然(こつぜん)
物事の現れ出たり、消えたりが急な様子。
2.黙然(もくねん/もくぜん)
口をつぐみ、黙っている様子。
3.眷属(けんぞく)
①血筋がつながっている者。親族や一族の者。②部下、家来や配下の者。
4.呵責(かしゃく)
厳しく責め立てること。
5.威丈高(いたけだか)
人に対し、相手を押さえ付けるような態度をとるさま。
注目★四字熟語
天地開闢(てんちかいびゃく)
天と地が出来た世界のはじまりのこと。古代中国の神話では、一つの混沌としたものが、やがて二つに分かれ、それぞれが天と地になったとされている。
音読シートダウンロード
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読了ワーク『思い出してみよう』の解答例
- 身の丈が三丈もあろうという、金の鎧を着た厳かな神将。
- 閻魔大王のところ。