- 少し長めで読み応えのある作品を少しずつ読みたい。
- 異国情緒溢れる作品を読みたい。
- 小学三年生くらいの子どもがひとりで読める作品を探している。
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前回までのあらすじ
杜子春の前に現れた虎と白蛇が、杜子春に飛びかかる。それでも杜子春は、平然と坐り続け、その場をやり過ごす。
次に金の鎧を着下した神将が現れ、杜子春に返事を求める。
しかし、杜子春は以前変わらず黙っている。
そしてとうとう、神将は何も話そうとしない杜子春を戟で突き殺してしまう。すると、杜子春の体から魂が抜け出し、地獄の底へ下りて行く。
地獄まできた杜子春は、大勢の鬼に見つかり、閻魔大王の前に引き据えられる。
閻魔大王は「なぜ峨眉山の上へ坐っていたのか」と杜子春に問いかけるが、杜子春はそこでも黙り続けるのだった。
おはなしの始まりはここから
★この文章は5分で読めます
地獄には誰でも知っている通り、剣の山や血の池の外にも、焦熱地獄という焔の谷や極寒地獄という氷の海が、真っ暗な空の下に並んでいます。
鬼どもはそういう地獄の中へ、代わる代わる杜子春を抛りこみました。
ですから杜子春は無残にも、剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、皮を剥がれるやら、鉄の杵に撞かれるやら、油の鍋に煮られるやら、毒蛇に脳味噌を吸われるやら、熊鷹に眼を食われるやら、――その苦しみを数え立てていては、到底際限がない位、あらゆる責め苦に遇わされたのです。
それでも杜子春は我慢強く、じっと歯を食いしばったまま、一言も口を利きませんでした。
これにはさすがの鬼どもも、呆れ返ってしまったのでしょう。
もう一度夜のような空を飛んで、森羅殿の前へ帰って来ると、さっきの通り杜子春を階の下に引き据えながら、御殿の上の閻魔大王に、「この罪人はどうしても、ものを言う気色がございません。」と、口を揃えて言上しました。
閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れていましたが、やがて何か思いついたと見えて、「この男の父母は、畜生道に落ちている筈だから、早速ここへ引き立てて来い。」と、一匹の鬼に言いつけました。
鬼は忽ち風に乗って、地獄の空へ舞い上がりました。
と思うと、又星が流れるように、二匹の獣を駆り立てながら、さっと森羅殿の前へ下りて来ました。
その獣を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。
なぜかといえばそれは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母の通りでしたから。
「こら、その方は何のために、峨眉山の上に坐っていたか、まっすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思いをさせてやるぞ。」
杜子春はこう嚇されても、やはり返答をしずにいました。
「この不幸者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いと思っているのだな。」
閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄まじい声で喚きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ。」
鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の鞭をとって立ち上がると、四方八方から二匹の馬を、未練未酌なく打ちのめしました。
鞭はりゅうりゅうと風を切って、所嫌わず雨のように、馬の皮肉を打ち破るのです。
馬は、――畜生になった父母は、苦しそうに身を悶えて、眼には血の涙を浮かべたまま、見てもいられない程嘶き立てました。
「どうだ。まだその方は白状しないか。」
閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、もう一度杜子春の答えを促しました。
もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに階の前へ、倒れ伏していたのです。
杜子春は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、緊く眼をつぶっていました。
するとその時彼の耳には、殆ど声とはいえない位、かすかな声が伝わって来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合わせになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰っても、言いたくないことは黙って御出で。」
それは確かに懐かしい、母親の声に違いありません。
杜子春は思わず、眼をあきました。
そうして馬の一匹が、力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。
母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さえも見せないのです。
大金持ちになれば御世辞を言い、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何という有難い志でしょう。
何という健気な決心でしょう。
杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落としながら、「お母さん」と一声を叫びました。…………
その声に気がついて見ると、杜子春はやはり夕日を浴びて、洛陽の西の門の下に、ぼんやり佇んでいるのでした。
霞んだ空、白い三日月、絶え間ない人や車の波、――すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じことです。
「どうだな。おれの弟子になったところが、とても仙人にはなれはすまい。」
片目眇めの老人は微笑を含みながら言いました。
「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、反って嬉しい気がするのです。」
杜子春はまだ眼に涙を浮かべたまま、思わず老人の手を握りました。
「いくら仙人になれたところが、私はあの地獄の森羅殿の前に、鞭を受けている父母を見ては、黙っている訳には行きません。」
「もしお前が黙っていたら――。」と鉄冠子は急に厳かな顔になって、じっと杜子春を見つめました。
「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。
――お前はもう仙人になりたいという望みも持っていまい。大金持ちになることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな。」
「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです。」
杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩もっていました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇わないから。」
鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、
「おお、幸い、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうが好い。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう。」と、さも愉快そうにつけ加えました。
※片目眇めについて・・・片目が細い目である状態のことを表す言葉。この身体的な特徴を表す言葉は、時として人を侮辱し、傷つける差別的な表現として、現代では不適切に感じられる箇所です。
読了ワーク
思い出してみよう
- 地獄のあらゆる責め苦にも耐え、一言もしゃべらなかった杜子春ですが、最後はとうとう言葉を発してしまいます。それはなぜでしょうか。
- 仙人になることはあきらめた杜子春。これからどのように暮らしていくと言いましたか。
調べてみよう
- 『焔』と『炎』の違いは何でしょうか。
- 『好い』(いい/よい)には他にも『良い』『善い』『宜い』『佳い』『吉い』があります。それぞれの違い、使い分けについて調べてみましょう。
単語ピックアップ
1.思案(しあん)
あれこれと考えをめぐらせること。
2.畜生(ちくしょう)
獣、鳥、魚、虫などの人間以外の生き物のこと。
注目★四字熟語
1.四方八方(しほうはっぽう)
あらゆる方向、あちらこちら。
2.未練未酌(みれんみしゃく)
相手の事情や心情を考慮したり、同情すること。
※打ち消しの言葉を伴って使うことが多い。『未練未酌』+『ない』で同情心も無く、冷酷な様を表す。
音読シートダウンロード
★この物語“杜子春④”の音読シートがダウンロードできます。
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読了ワーク『思い出してみよう』の解答例
- 自分の親だという馬が、鬼に鞭で叩かれ、自分が苦しくても恨む様子もなく、懐かしいお母さんの声で息子を思いやる言葉をかけたから。
- なにになっても、人間らしく、正直に暮らすと言った。