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★この話は5分で読めます
デパートの中は、いつも春のようでした。
そこには、いろいろの香りがあり、いい音色がきかれ、そして、らんの花など咲いていたからです。
いつも快活で、そして、また独りぼっちに自分を感じた年子は、しばらく、柔らかな腰掛けにからだを投げて、うっとりと、波立ち輝きつつある光景に見とれて、夢心地でいました。
「この華やかさが、いつまでつづくであろう。もう、あと二時間、三時間たてば、ここにいる人々は、みんなどこかにか去って、しんとして暗くさびしくなってしまうのだろう。」
こんな空想が、ふと頭の中に、一片の雲のごとく浮かぶと、急に居た堪らないようにさびしくなりました。
そこを出て、明るい通りから、横道にそれますと、もう、あたりには、まったく夜がきていました。
その夜も、日の短い冬ですから、だいぶふけていたのであります。
そして、急に、いままできこえなかった、遠くで鳴る、汽笛の音などが耳にはいるのでした。
「まあ、青い、青い、星!」
電車の停留場に向かって、歩く途中で、ふと天上の一つの星を見て、こういいました。
その星は、いつも、こんなに、青く光っていたのであろうか。
それとも、今夜は、特にさえて見えるのだろうか。
彼女は、無意識のうちに、
「私の生まれた、北国では、とても星の光が強く、青く見えてよ。」
といった、若い上野先生の言葉が記憶に残っていて、そして、いつのまにか、その好きだった先生のことを思い出していたのであります。
すでに、彼女は、いくつかの停留場を電車にも乗ろうとせず通りすごしていました。
ものを考えるには、こうして暗い道を歩くのが適したばかりでなしに、せっかく、楽しい、かすかな空想の糸を混乱のために、切ってしまうのが惜しかったのです。
先生は、年子がゆく時間になると、学校の裏門のところで、じっと一筋道をながめて立っていらっしゃいました。
秋のころには、そこに植わっている桜の木が、黄色になって、はらはらと葉がちりかかりました。
そして、年子は、先生の姿を見つけると、ご本の赤いふろしき包みを打ち振るようにして駆け出したものです。
「あまり遅いから、どうなさったのかと思って待っていたのよ。」
と、若い上野先生は、にっこりなさいました。
「叔母さんのお使いで、どうもすみません。」
と、年子はいいました。
窓から、あちらに遠くの森の頂きが見えるお教室で、英語を先生から習ったのでした。
きけば、先生は、小さい時分にお父さんをお亡くしになって、お母さんの手で育ったのでした。
だから、この世の中の苦労も知っていらっしゃれば、また、どことなく、そのお姿に、さびしいところがありました。
「私は、からだが、そう強いほうではないし、それに故郷は寒いんですから、帰りたくはないけれど、どうしても帰るようになるかもしれないのよ。」
ある日、先生は、こんなことをおっしゃいました。
そのとき、年子は、どんなに驚いたでしょう。
それよりも、どんなに悲しかったでしょう。
「先生、お別れするのはいや。いつまでもこっちにいらしてね。」と、年子は、しぜんに熱い涙がわくのを覚えました。
見ると先生のお目にも涙が光っていました。
「ええ、なるたけどこへもいきませんわ。」
こう先生は、おっしゃいました。
けれど、先生のお母さんと、弟さんとが、田舎の町にいらして、先生のお帰りを待っていられるのを、年子は先生から承ったのでした。
また、先生のお母さんと、弟さんは、その町にあった、教会堂の番人をなさっていることも知ったのでした。
だが、ついにおそれた、その日がきました。
せめてもの思い出にと、年子は、先生とお別れする前にいっしょに郊外を散歩したのであります。
「先生、ここはどこでしょうか。」
知らない、文化住宅のたくさんあるところへ出たときに、年子はこうたずねました。
「さあ、私もはじめてなところなの。どこだってかまいませんわ。こうして楽しくお話しながら歩いているんですもの。」
「ええ、もっと、もっと歩きましょうね、先生。」
ふたりは、丘を下りかけていました。
水のような空に、葉のない小枝が、美しく差し交じっていました。
「私が帰ったら、お休みにきっといらっしゃいね。」
と、先生がおっしゃいました。
年子は、あちらの、水色の空の下の、だいだい色に見えてなつかしいかなたが、先生のお国であろうと考えたから、「きっと、先生におあいにまいります。」と、お約束をしたのです。
すると、そのとき、先生は年子の手を堅くお握りなさいました。
「たとえ、遠いたって、ここから二筋の線路が私の町までつづいているのよ。汽車にさえ乗れば、ひとりでにつれていってくれるのですもの。」
そうおっしゃって、先生の黒いひとみは、同じだいだい色の空にとまったのでした。
流れるものは、水ばかりではありません。
なつかしい上野先生がお国に帰られてから三年になります。
その間に、おたよりをいただいたとき、北の国の星の光が、青いということが重ねて書いてありました。
そして、雪の凍る寒い静かな夜の、神秘なことが書いてありました。
青い星を見た刹那から、彼女を北へ北へとしきりに誘惑する目に見えない不思議な力がありました。
とうとう、二、三日の後でした。
年子は、北へゆく汽車の中に、ただひとり窓に凭って移り変わってゆく、冬枯れのさびしい景色に見とれている、自分を見いだしました。
読了ワーク
思い出してみよう
- デパートの中のどんなところが春のようだと書かれていましたか。
- 電車の停留場に向かう途中、空に光る星を見て、年子は誰のことを思い出しましたか。
調べてみよう
- “居た堪らない”の意味は何でしょう。
- “文化住宅”とは、どんな住宅のことでしょうか。
- “凭って”の意味や他の読み方について調べてみよう。
単語ピックアップ
1.快活(かいかつ)
人柄や性格、性質が明るく元気なこと。
2.夢心地(ゆめごこち)
夢を見ているような、うっとりした気持ち。
3.無意識(むいしき)
①意識の無い状態。②自分がしていることに自覚が無い状態。
4.郊外(こうがい)
都市部の中心地に隣接する地域、都市部から少し離れた地域。
5.刹那(せつな)
ほんの少しの時間。瞬間。束の間。
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読了ワーク『思い出してみよう』の解答例
- いろいろな香りがあり、いい音色がきかれ、らんの花などが咲いているところ。
- 若い上野先生。