「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる小川未明作『赤いろうそくと人魚①【前編】』です。
- 悲しいけれど美しい話が読みたい。
- アンデルセンの『人魚姫』が好き。
- 年中~の子どもに読み聞かせしたい。
赤いろうそくと人魚①【前編】はここから
★この文章は5分で読めます
人魚は南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。
北の海にも棲んでいたのであります。
北方の海の色は、青うございました。
あるとき、岩の上に女の人魚があがって、あたりの景色をながめながら休んでいました。
雲間からもれた月の光が淋しく波の上を照らしていました。
どちらを見ても限りない、ものすごい波が、うねうねと動いているのであります。
なんという、淋しい景色だろうと、人魚は思いました。
自分たちは人間とあまり姿は変わっていない。
魚や、また底深い海の中に棲んでいる、気の荒い、いろいろな獣物などとくらべたら、どれほど人間のほうに、心も姿も似ているかしれない。
それなのに、自分たちは、やはり魚や、獣物などといっしょに、冷たい、暗い、気の滅入りそうな海の中に暮らさなければならないというのは、どうしたことだろうと思いました。
長い年月の間、話をする相手もなく、いつも明るい海の面を憧れて、暮らしてきたことを思いますと、人魚はたまらなかったのであります。
そして、月の明るく照らす晩に、海の面に浮かんで、岩の上に休んで、いろいろな空想にふけるのが常でありました。
「人間の住んでいる町は、美しいということだ。人間は海の中にいる生き物たちよりも、人情があって優しいと聞いている。私たちはずっと人間の方に近いのだから、人間の中に入って暮らせないことはないだろう。」と人魚は考えました。
その人魚は女でありました。
そしてお腹に小さい命を宿していました。
・・・・・・私達は、もう長い間、この淋しい、話をするものもない、北の青い海の中で暮らしてきたのだから、もはや、明るい、にぎやかな国は望まないけれど、これから産まれる子どもに、せめても、こんな悲しい、頼りない思いをさせたくないものだ。・・・・・・
子どもと別れて、独り淋しく海の中に暮らすということは、とても悲しいことだけど、子どもがどこにいても幸せに暮らしてくれたなら、それにこしたことはない。
人間は、この世界の中で、いちばん優しいものだと聞いている。
そして、かわいそうなものや、頼りないものは、けっしていじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。
一旦手懐けたなら、けっして、それを捨てないとも聞いている。
幸い、私たちは、みんなよく顔が人間に似ているばかりでなく、胴から上は人間そのままなのであるから――魚や獣物の世界でさえ、暮らせるところを思えば――人間の世界で暮らせないことはない。
一度、人間が手に取り上げて育ててくれたら、きっと無慈悲に捨てることも無いだろうと人魚は思ったのでした。
そうして女の人魚は、ある晩子どもを陸の上に産み落とすために、暗く冷たい波の間を泳いで、陸の方に向かって行きました。
◆
海岸に、小さな町がありました。
町には、いろいろな店がありましたが、お宮のある山の下に、貧しげなろうそくを売る店がありました。
その家には、年寄りの夫婦が住んでいました。
おじいさんがろうそくを造り、おばあさんが店で売っていたのであります。
この町の人や、また付近の漁師がお宮へお参りをする時に、この店に立ち寄って、ろうそくを買って山へ登りました。
山の上には、松の木が生えていました。
その中にお宮がありました。
海の方から吹いてくる風が、松のこずえに当たり、昼も夜もゴーゴーと鳴っています。
そして毎晩のように、そのお宮に上がったろうそくの火影が、ちらちらと揺らめいているのが遠い海の上から望まれたのであります。
ある夜のことでした。
おばあさんは、おじいさんに向かって「私たちがこうして暮らしているのも、みんな神様のお蔭だ。この山にお宮が無かったら、ろうそくは売れない。私どもはありがたいと思わなければなりません。私はこれからお山へ登ってお参りをして来ましょう。」と言いました。
「本当におまえの言う通りだ。私も毎日、神様をありがたいと心ではお礼を申さない日は無いが、つい用事にかまけて、お山へお参りに行きもしない。良いところへ気がつきなされた。私の分もよくお礼を申して来ておくれ。」とおじいさんは答えました。
月の光がとても明るく照らす晩に、おばあさんは出掛けて行きました。
お宮へお参りをして、おばあさんは山を降りてきますと、石段の下に、赤ん坊が泣いていました。
「かわいそうに、誰がこんなところに捨てたのだろう。それにしても不思議なことは、お参りの帰りに私の目に止まるというのは、何かの縁だろう。このまま見捨てて行っては、神様の罰が当たる。きっと神様が私達夫婦に子どもが無いのを知ってお授けになったのだから、帰っておじいさんと相談をして育てましょう」とおばあさんは思って、赤ん坊を取り上げながら「おお、かわいそうに、かわいそうに。」と言って、家へ抱いて帰りました。
おじいさんがおばあさんの帰りを待っていると、おばあさんが赤ん坊を抱いて帰って来ました。
そして、一部始終をおばあさんはおじいさんに話しました。
「それは、まさしく神様のお授け子だから、大事にして育てなければ罰が当たる。」とおじいさんも言いました。
二人は、その赤ん坊を育てることにしました。
その子は女の子であったのです。そして胴から下の方は魚の形をしていましたので、おじいさんもおばあさんも話に聞いている人魚にちがいないと思いました。
「これは、人間の子じゃあないが……。」とおじいさんは赤ん坊を見て頭を傾けました。
「私もそう思います。しかし、人間の子でなくても、なんと優しい、可愛らしい顔の女の子ではありませんか。」とおばあさんは言いました。
「良とも、何でもかまわない。神様のお授けなさった子どもだから、大事にして育てよう。きっと大きくなったら利口な良い子になるにちがいない。」とおじいさんも言いました。
二人はその女の子を大事に育てました。
大きくなるにつれて、黒目がちで、美しい髪の毛の肌の色はうす紅をした、大人しい利口な子となりました。
※獣物について・・・『獣』一文字で“けもの・けだもの”と読みます。『獣物』と表記して“けもの”と読むことは、現代ではあまり一般的では無いようです。ここではあえて原文の表示のまま使っています。
このおはなしの作者
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読了ワーク
思い出してみよう
- 人魚は、人間のことをどのような生き物だと考えていましたか。
- 人魚が産み落とした子どもは誰に拾われたでしょう。
調べてみよう
- 『住む』と『棲む』の違いは何でしょう。
- 『淋しい』と『寂しい』の違いは何でしょう。
- 『荒い』と『粗い』の違いは何でしょう。
- 『黒目がち』とは、どんな意味の言葉でしょうか。
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無慈悲(むじひ)
思いやりの心がない、哀れむ気持ちがないこと。
注目★四字熟語
一部始終(いちぶしじゅう)
始めから終わりまでのこと。最初から最後まで起こった出来事のすべて。
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連想こばなし
アンデルセンの人魚姫
人魚と言えば、私はアンデルセンの『人魚姫』!!
子どもの頃は読み終わった後、報われない人魚姫がただひたすら不憫で仕方なく思ったけれど、大人になって読むと「こんなに人を愛し通せた人魚姫はむしろ幸せだったのかも?」と思いました。
これを原作としたディズニー映画のアリエルはハッピーエンドなので、もしかすると今の子ども達には「人魚姫は悲しいおはなし」という認識は無いかもしれませんね。
読了ワーク『思い出してみよう』の解答例
- 海の中にいる生き物たちよりも、人情があって優しい。かわいそうなものや、頼りないものは、けっしていじめたり、苦しめたりすることはない、世界で一番優しい生き物。――など
- (貧しいろうそく屋の)おばあさん